

長濱ねるさんは、欅坂46卒業後も、女優・タレント・MCとして多方面で活躍を続けています。最近では情報番組や教養バラエティへの出演が増え、柔らかな笑顔と落ち着いた語り口で、気づけば画面のこちら側の心までほぐしてくれる存在になりました。かつてアイドルとしてステージの上で輝いていた彼女は、今も別の形で、確かに“日常の中の光”として生き続けているのだと思います。
そんな彼女の最新の出演情報やSNSの写真を追いかけながら、ふと気づくと、50歳・童貞の自分は、画面越しの彼女に、ありえないようなささやかな妄想を重ねてしまいます。例えば、仕事でくたくたに疲れて帰ってきた夜。テレビをつけると、長濱ねるさんが出演している番組の再放送が流れている。優しい声で本の話をしていたり、地方の町を歩きながら、そこに暮らす人たちの話を聞いていたり。その横顔を見ながら、もしもこんな自分の話にも、同じように静かに耳を傾けてくれる日が来たら──などと、ありえない未来を思い描いてしまうのです。
妄想の中の自分は、50歳の冴えないおじさんのままです。恋愛経験もないし、話も上手くない。ただ、人生の寄り道ばかりしてきた分だけ、失敗談やくだらない話だけは山ほどある。そんな話を、ねるさんが「ふふっ」と少しだけ笑ってくれる。ときどき真面目な顔で「でも、それって素敵ですね」と言ってくれる。その一言が、これまでの半生すべてを、ほんの少しだけ肯定してくれるような気がして、胸が少しだけ温かくなります。
現実には、彼女と自分の人生が交わることはないでしょう。それでも、テレビの向こうで、SNSのタイムラインの先で、彼女が今日もどこかで笑っているという事実が、孤独な部屋の空気を、ほんの少しだけ軽くしてくれます。50歳童貞の妄想なんて、世間からすれば笑い話かもしれません。でも、誰かの存在をきっかけに、「まだ、自分の人生はここで終わりじゃないのかもしれない」と思えるのなら、その妄想もまた、ささやかな生きる力なのだと信じたくなるのです。
長濱ねるさんの最新情報を追いながら、今日もまた、ありえない会話を心の中で重ねてしまう自分がいます。「今日もおつかれさまです」と、彼女が画面の向こうから声をかけてくれているような気がして、静かな部屋で一人、そっとテレビの明かりを見つめています。

